【ロングインタビュー】海城中学高等学校~いい学校って何だろう~

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中田大成教諭と森昭大教諭

海城中学高等学校を取材した。創立126年の男子伝統校であり、最難関国立大学合格実績では毎年トップクラスに君臨している。名門校である海城中高で25年前に始まった教育改革はなぜ実行することが可能だったのか。校長特別補佐・教育推進研究センター長・入試広報室長の中田大成教諭と学習指導部長・数学科の森昭大教諭にその裏側を忌憚なく聞かせて頂いた。


ー海城では1992 年から教育改革が始まりますが、何故改革が必要だったのでしょうか。

中田 60年代の都立の学校群制度、これを契機に都立の大学合格実績が下がり、私立が台頭していくわけですが、その中で受験成績を上げるべく、本校の教員も頑張りました。東大の実績が89年に初めて30人台に到達し、95年は68人までいきました。こういう結果を出しているのですが、生徒が東大に入って燃え尽きてしまい、留年率が非常に高い学校だと大学から指摘を受けるんですね。

教員の間でも、受験に特化した教育の在り方について、何となく、疑いの気持ちが出てくるわけです。そこで、創立100周年を契機に、初心に戻ろうということになりました。本校の建学の精神は「国家社会に有為な人材育成」なのに、大学で燃え尽きて勉強しなくなってしまうようでは社会に出て活躍できないだろうと。やはり社会に出て活躍出来る人間をつくる原点に戻ろうよという形で、改革していこうという流れができるわけです。しかし、そうは言っても、実質的に組織って動かないわけですよ。

―ではなぜ、改革が可能だったのでしょうか。

中田 1つ目は世代交代による下からの動きです。私を含め当時30代前半ぐらいの若手の教員が、ごり押しで大学受験に向かわせる学校の空気に違和感を持っていました。そういう若手の思いを、学内のそれなりのポジションに就いた教員が組合でうまく吸収して、実現することが可能になったんです。最たる例は中学の社会科ですね(※1)。

※1 中学社会科
系統学習と総合学習に分かれている。総合学習(社会Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)では生徒一人ひとりが興味や関心を持つ社会的な問題を大切にし、生徒自身が研究課題を設定。仕上げ期にあたる中学3年次の「社会Ⅲ」で、クラスを二分し、個別指導をより充実させて「卒業論文」(400字×30枚~50枚が標準)を作成する。

中田 2つ目は92年に校長が小川嘉一郎に代わるんです。この方は都立高のかなり有能な校長だった人で、改革して新しいものをつくろうというマインドを持っていました。海城に来て21世紀委員会とか、基本問題委員会というような校長直属の諮問機関を立ち上げて、30代の若手を中心に意見を吸い上げていきました。

私も当時30代で血気盛んでしたから、急進的にどんどん変えてほしいという思いがあったんですけど、小川校長は経験を持たれている方なので「今ここでそれをやってしまったら台無しになるからここは待て」と時になだめられたりもしました。校長室へ行くと、彼は自分の机の脇にいすを置いて「君ここに座れ」と言って、話をするわけです。普通そういう時は相対するじゃないですか。そうじゃなくて「自分の脇に来い」って脇に座らせて話をするんですよ。小川校長はそういう人でした。

それから理事長も、80年代の後半に若返ります。理事長、校長が若返ったことと、改革志向の一定の年齢の人たちが学内のそれなりのポジションに就いたこと。上と下に改革を推し進める主体的な存在がいる。それがなければ改革は頓挫していたのではないでしょうか。―改革はその後も順調に進んだのでしょうか。

中田 実は2000年代に入って落とし穴が待っていました。僕らは独りよがりに、良いことをしていれば必ず世間の人たちも理解してくれて正当な評価をしてくれる。生徒も入ってくるだろうと思っていたわけですよ。でも実は外はそういったものに関して、受信もしていないし、そういう見方もしていなかったんです。気が付けば、2000年代中盤から偏差値がだんだん落ちていきました。そうすると大学合格実績も不安定化してきます。落ちる時はすごいスピードなんだという危機感がありました。そこで2011年に高校募集を停止し、帰国生入試を始めます。その時初めて、外の事を少し見始めたんです。中学入試ではライバル校がうちの受験日に参入していた。高校入試では都立の進学重点校が台頭してきていた。そういう客観的な事実を2000年の後半に気付くわけです。外的な環境を見て、自分たちのポジションを考えないと、思ったことは出来ないんだということに気付くんです。

それに、森先生の世代はアイデアマンなんですね。僕らは気持ちでどんどん進んでしまうのだけど、彼はデータをきちんと取って、冷静に分析して、進学校として、受験成績も出さなければいけないと考えていました。そのためにはどうすべきかということを非常に冷徹に、客観的に分析をして、方向性を先生方に示すわけです。これは僕らの世代にはちょっと無い資質なんですよ。森先生をはじめ、下の世代がバランスを取ってくれていたというのがあります。

 結局は構成されている人に尽きると思います。人を動かす中でデータを持ってくる。そういうことはしますが、その時に人が動くかどうかはその人の性質によりますね。それは会社でもどのような職場でも同じだと思います。我々は先輩たちの世代の何かを盗みたいんですけど、性質的に難しいなと思うところがあります。だから、世代的な補完というのはあるかもしれないですね。次の世代についても、温かいものが上がってくることを期待していますけど、その時に、さっきの小川校長の寄り添って話すような、そういう活動をしなければならないなと改めて思いました。

教員の中でもとがった事をやってくれている教員はいます。新しい授業の形とか、そういうものに我々も対応できるだけのアイデアとか時間とかパワーとか、そういうのは常になければいけないと思います。

中田 そのためには余裕が大切です。大胆にカットしていくものはカットして、効率化していくということをしないと、どんどん自分たちの容量を超えていってしまうわけで、管理職として頭を悩ませていますね。

―余裕がなければ新しいことは生まれないですね。

 例えば、学習指導部という立場で外に行くと、色々と情報が入ってきますから、これは自分だけにとどめておくべきではないと思います。管理職の先生も新しい情報を入手するために出掛けて行って、みんなに還元しますよね。でもそういう情報は、なかなか浸透していかないんですよ。「管理職は管理職」となってしまうと思うんですね。教員に余裕がないと鎖国みたいになってしまう。授業に新しいことをプラスで乗せていって、目いっぱいですよね。さらにというのは難しいわけです。

中田 自分も2000年代の後半、学習指導部副部長だったんです。それ以前は井の中の蛙状態で、外の事も大概は知りませんでした。ところが学習指導部って出島みたいなところで、常に大学の方、予備校の方が来て、引っ張られて外へ出て行ったりして話を聞いているうちに、目が開かれていくというか、ああ、自分たちって本当に狭い世界に居たんだな、外はこんな動きがあるんだなっていうことを初めて知ったんです。

まして、2011年から広報担当になって、しかも帰国生募集もやったから、海外まで出掛けて行くと、そこから入ってくる情報たるやそれまでの10年分が1年で来るみたいな。教員は、そういうポジションに置かれるまで、そういう努力もしていないし、そもそも情報が入って来ない。せいぜい親ですよね。あるいは、子どもたちの変質という形で社会と関わるぐらいのパイプしかないわけです。一般の先生方って、一生懸命、今向き合っている子どもたちと関わるほど、そんなにゆとりはないわけです。だからそこに情報を落としていくっていうのはなかなか難しいことなんです。

―なるほど、現場の先生も本来は外の空気に触れることが重要で、しかしそのためには、まずは余裕が必要だということですね。ありがとうございます。こういう話はなかなか聞いたことがないので興味深いですね。

中田 読んでいる方はこういう話を一番知りたいのではないでしょうか。物事は単純ではないですし、偶然に左右されながら進んでいくんです。その中で私たちも反省や気づきを日々繰り返しています。

 広報的には最後にやすりをかけてきれいにしたものだけが出てきますが、泥臭いことについてはなかなか出てこないですからね。

中田 僕が広報として外へ出て話していることは、どちらかというと、高所から時流を捉えて、うちの学校も対応していますよという話です。だけど、一方で現場の細かい部分もきちんと対応していないと、必ず壁にぶつかるというのは経験の中でわかっています。だからうちは受験の成績も結果もきちんと出していかないといけないんです。そのためにはデータに基づいた現実的な対応をしていくことが大事なんです。それを森先生がやってくれています。

 中田先生の直下層に私がいるイメージです。表面をはがしたときに実績という証拠、歴然としたデータがあることが大切なんです。

―ありがとうございます。さて、話は変わりますが、次の質問です。最近アクティブラーニングばかりが話題になっていますが、これについての見解をお聞かせいただけますでしょうか。

 今日、模型を使って生徒に遊ばせながら授業をやっているんですけど、生徒参加型の授業をアクティブラーニングというならば、やっている人は今までもやっていると思うんです。結局はバランスだと思います。つまり、生徒たちをどうやったら引きつけることができるか、何を定着させるべきなのかということがしっかりわかっている人にとっては、別に新しく言われているようなやり方じゃなくても良いのではということです。

よく、アクティブラーニングと知識獲得型学習を二極に分けますけど、分けること自体に意味はないと思います。知識獲得型のドリルが良い時もあるし、参加させて実際、手を動かして体験させるのが良い時もあると思います。その時にどれを選ぶかというのは、上から言われて、タブレットを使いなさいとか、プロジェクターを使いなさいとか、ディスカッションさせなさいとかいう感じだと教員の中に入って行かないと思うんですね。

何をやれば効果的なのかというのは教員の自主性に任せるべきです。私自身、画一的にこういうのをやりましょうというメッセージを発信したことは無いです。ただ、授業を50分間生かそうとか、生徒たちを引きつけようとか、そういったざっくりとした発信はしています。その時に、ICT 機器を使うと、今まで70%引きつけていたものが90%に上がるという人もいれば、使うとそれでだめになってしまう人もいるかもしれないし、あくまで選択肢の一つという感じですね。アクティブラーニングの中でもICT 機器を使う、使わないというのもそうだし、色々ありますよね。

―授業について、先生方にはどのようなことを発信しているのでしょうか。

 例えば教員全員が集まる機会に、入試や模試の結果をみんなで共有する場面があるんですね。その時に「授業が大事だ」ということを、話の各所にまぶして伝えています。「授業が大事だ」とは、当たり前のことだと思われるかもしれませんが、単純明快なワードじゃないと人は動かないんですね。だからわかりやすくて、それぞれが考えてくれるようなフレーズ、ワードを、ずっと言い続けています。お母さんの小言みたいに、くどいぐらい言っています。それは別にかっこいい言葉じゃなくてもいいと思うんです。あんまり奇をてらって、変な意味で人を引きつけるような言い方をしないで、原点に帰るみたいな感じです。

当たり前のことを当たり前に出来ていたらすごいと思いますよね。特に、地方の公立進学校だと、生徒も学校しか頼るところがないから、学校の先生にノウハウが蓄積されます。だけど、我々は生徒たちが予備校に通っていくのが前提なので、そうした中で魅力ある授業をやり続けるというのは至難の業だと思います。だからこそ、世代を超えて、工夫とか創造力を常に忘れないようにと思っています。さらに工夫したことを仲間で共有し、褒め合うことも大切です。だから共有という言葉も常に言っています。

中田 工夫している時って先生の頭は活性化しているんですね。逆に惰性になったときが一番最悪です。惰性度合いをどう低くするかが重要です。―情報共有はどのように行っていますか。森 データの共有場所はクラウド上にあります。それはそれで効率よく短時間に大量のデータが共有できるわけですけども、それは単なるデータでしかありません。それよりも大切なのは教員同士のコミュニケーションですね。生徒に愛情を持っている教員同士なら、生徒のことをお互い喋れると思います。もともと教員はそういう集まりなんですけど、そこについてはどうすれば醸成できるのかわからないですね。もう個人に拠るし、その時に熱を伝染させるような核になる人がいないといけないと思います。データがあってもハートがなければだめです。―情報共有にしても、その根底には生徒への愛情があり、生徒をもっと良くしてあげたいということに尽きるということですね。

 尽きると思います。高3になると受験指導みたいになりますけど、結局どれだけ本人のことを思って、寄り添ったかということですよね。それは今も昔も変わらなくて、そのためのツールがデジタル化して凄そうになっていますけど、後ろ支えしなければいけないものは変わらないと思うんです。

中田 教員同士で話し合っていても、「生徒にとって為になることか」「生徒にとって良いことか」というところに持って行けば議論はある程度落ち着いていくと思います。「生徒に対して良い事は?」ということを共有できない人は教員にはなってはいけない。同僚にはなれないということですよね。だから色々なところで意見の対立が生じたとしても最終的にはそこへもっていくしかないと。それに生徒にとって良いことなのかというのは、単視眼的に結果を出すことだけじゃなくて、5年後、10年後の子どもにとって良いことなのかどうかということですね。

―今年から始まったKSプロジェクト(※2)について教えて下さい。

※2 KSプロジェクト 
各教科のカリキュラムを超えた生徒の主体的な学びの場。生徒の多様な興味・関心を掘り起こす講座、通常の授業の枠に収まりきらない「とがった」興味・関心に応える講座、学外の活動に積極的にチャレンジする講座など、生徒がワクワクしながら学べる場を提供している。『プログラミング講座世界を変える第一歩を踏み出そう!』『総合フィールド演習~人文科学と自然科学から「地域」を考える』『言語系外部コンテストにチャレンジ』など。

森 学習指導部の役割は「教員と生徒のバックアップ」です。その取り組みの中で講習が放課後と長期休暇に行われていて、先生方がそれぞれ自分で企画して立ち上げるんですね。講座の類はここ10年で随分増えてきました。先生方の中には板書一辺倒ではない新しい世代がいるわけです。そうすると授業ではできないんだけど、新しくこういう講座をやりたいとか、そういうのが下から上がってくるわけです。

上がって来たものが既存の講の枠では捉えきれなくて、80分じゃ足りないとか、休日にやりたいとか、2年間にわたってやりたいとか、そういうのが色々ありまして、もっと自由度を広げるのはどうかという気運があって、KSプロジェクトが始まりました。対外的には生徒の将来をにらんで立ち上げましたという言い方をしているんですけど、そうじゃなくて講習という既存の枠の中で、そういうのがふつふつと出て来て、吹きこぼれたんです。

中田 講習には補習的なものと応用的なものがありますが、それとは違う一般教養的なもの、教員の興味関心でやっているみたいなもの、そういうのが元々あったわけです。ただ、講習の中でやるには窮屈なわけですね。毎週何曜日に何時からやって、何回やってみたいな。その枠を外して、先生方も好きな先生が教科を超えて集まって、生徒も学年を取り払って、この指とまれで集まって、外へ出掛けて行くのもあり、宿泊もありという自由な形で、先生方もワクワクしながら、それに興味関心がある生徒は一緒になってやる。そういう講座として発展したんです。

 こういう仕組みがあるべきだと、仕組みを最初に作って、そこに人とかものをはめ込む感じではなくて、下からじわじわ出て来たアイデアをまとめてやろうかという感じですね。中田 実は森本教授(東京学芸大学情報処理センター教授。海城学園とe-Portfolio の共同研究を行っている。)による中3向けの講演会が今朝あったんですが、学びにとって今一番大事だと言われているのは主体性だという話でした。それから振り返りによる気づき。気づきというのは結局、自問自答するということみたいです。「これってなんで?」「どうして?」「この先どうするの?」ということを、独り言でもいいからつぶやきながら、物事を学んでいくことが気づきなんですけど、そもそも主体性が無い学びっていうのは面白くもないし身につかないと。

だから、KSプロジェクトはその極みなんだと思います。先生自身が主体的にワクワク楽しんで、それに参加した子どもたちが一緒になってやっていく。だから探求型の総合学習っていうのは「教える」ことは実はできないと思うんです。教員がそもそも探求行為に自発的にワクワクして取り組まなければだめで、その背中を生徒が見て、僕たちも面白そうだからやってみたいとついてきたときに初めて、探求型の総合学習が成立するんだと。KSプロジェクトってある意味、先生方にもっと自由にやっていいよと言ったならば、色々なものがどんどん出て来て、それに感染した子どもたちが集まって来てやっているという。そういう意味では本当に主体的な学びだと思います。その時に学びのツールとして協同学習をしようが、一斉講義形式をしようが、ICT を使ったものであろうが、そういったものは単なる選択肢なので、たくさん選択肢を持っていて、最も良いものを選んでやればいいだけの事であって、これを使わなければいけないとか、こうしてくださいみたいな話をした途端に、学びが受け身になってしまって、生徒も勉強させられるみたいになってしまうわけです。

―ICT(※3)についてもあくまでツールだということですね。

※3 ICT
海城学園では2016年にICT 教育部を発足。全教室にホワイトボードとプロジェクター、Apple TV を設置し、Wi-Fi 環境を整備した。また2017年度から試験的に、中学3年生向けにiPadを1人1台導入している。

 私は今48ですけど、工夫って永遠に終わらないんですよ。その中でICTについても、やってみなければいけないと思っています。今は教室全部にプロジェクターがあるので、やろうと思ったらできることなんですね。授業を工夫しようと思った時に、例えば模型を自分で切り貼りして作ったりするわけですけど、こういうものがグラフィックスで見せられるかもしれない。でも一方で生徒にとって質感というのは大事なので、模型を手に持ってということについては、やっぱりICT に全部置き換えることは有り得ないですね。

中田 そのことは生徒もわかっています。うちの学校ではドラマエデュケ―ション(※4)という演劇の授業をやっているんですが、最後に自分たちが作った作品を発表して、観客に届けなければならないんです。でも往々にして、内輪受けで、自分たちで笑って終わっているみたいなのが、リハーサルではあるんです。するとプロの演出家がすごいダメ出しをするわけです。我々は人に届けてなんぼの世界で生きているんだぞと。内輪で喜んでるためにそんなことをやったって何の価値もないんだと。

※4 ドラマエデュケーション 

演劇的手法を用いて人間関係力や創造性を涵養する体験学習。中学2年生の1学期、中学3年生の2~3学期にそれぞれ通算6授業時かけて行う。

中田 そこで彼らは、どうしたら相手に届くか工夫するわけです。そして届いた時の喜びも感じているわけです。それを経て、ある日数学科の先生が、授業でグループごとにテーマを与えてそれについてプレゼンをする授業をやったんですよ。それを見に行ったんですが、生徒のプレゼンの方法は様々なんです。実際にモノを作って見せて触らせたり、それからコンピューターを使ってパワーポイントをやったり、自分で作った映像を使ったり。もうローテクからハイテクまで様々な技術を使いながら伝えようとしているんです。

生徒たちがすごいなと思ったのは、伝えるっていうことに一生懸命になっていることです。頭を使って工夫している。だから、伝える方法はローテクでもいいわけですよ。ローテクのほうが良い時もあるんです。選択肢はいろいろ持っていて、内容に応じて表現方法を選べる人は、よりいいわけですね。そういう意味で演劇の授業はすごくいいなと思っています。

―先生も生徒も伝える手法は全部が全部デジタルじゃなくてもいいわけですね。

中田 全然関係ない。演劇なんて最も身体的なことをやっているわけで、超ローテクです。

 知識をいっぱい貯め込むけど発信できないとか伝わらないという人は世の中に大勢いると思うんですね。海城生はそうさせたくないですね。ただそれを具体的にどうやるのかというのは我々も発展途上です。

中田 知識を定着させるとはどういうことかというと、自分の言葉できちんと説明できるということです。もやもやの状態を言語化するのがすごく大事なんです。最近主体性評価の中で、e-Portfolio が注目されていますが、高校生活でやったことを書くだけでなく、知識や経験を通して得た気づきをいかに言語化し自己変容を促すか。そこにポートフォリオの本質があると思います。