生徒が主体的につくりあげる駒場東邦の学校行事 修学旅行先はプレゼン大会を通じて自分で決める

生徒が主体的につくりあげる駒場東邦の学校行事 修学旅行先はプレゼン大会を通じて自分で決める

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毎年50人から80人近くの生徒が東大に合格する、全国屈指の進学校である駒場東邦中学校・高等学校。厳しい勉強漬けの学校生活を想像するかもしれませんが、その実態はまったく違います。生徒の自主性を尊重する先生たちのもと、やりたいことを自由にできる穏やかな雰囲気が駒場東邦には流れています。文化祭や体育祭といった学校行事の運営はすべて生徒主体で行われ、伝統的に修学旅行の行き先や行程も生徒が決めます。2019年9月に修学旅行を終えたばかりの元修学旅行委員3人に、プレゼン大会や準備の様子、旅行の体験談などを聞きました。

左から中川功大さん(ベトナムチームリーダー。硬式テニス部、折り紙研究会)、山下真聞さん(修学旅行委員会委員長。軟式野球部部長、書道研究会)、大塚晴紀さん(九州北部チームリーダー。日本の城研究会、ラグビー部)

有志が候補案をプレゼンし学年全員の投票で修学旅行先を決定

——駒場東邦では修学旅行先を生徒が決めているそうですね。どのような仕組みになっているのですか。

修学旅行委員会に入っている人が中心となってプレゼン大会を行って、その後の投票によって行き先を決めます。修学旅行委員は各クラスに最低4人はいますね。

——委員は全部で何人くらいですか。

30人くらいです。ちなみに、一つ下の学年は委員会中心ではなく有志でやっていると聞きました。学年によってカラーがあって、やり方が少しずつ違うみたいです。

——みなさんが委員になろうと思ったのは何がきっかけでしたか。

入学前から自分たちで修学旅行の行き先を決められることは分かっていたので、入ったときからプレゼン大会に出ようと思っていました。

中1のときの先生に、昔、候補地としてモンゴルという案があったのを聞いて。面白そうだなと思い「モンゴルをやりたいな」という気持ちで入りました。

——では最初の提案はモンゴルを?

はい。モンゴルを提案したんですが、予算的な問題でプレゼンまでは上がれなくて今年は無しになってしまいました。

他の生徒からは、パラオという提案もありました。絶景があるし、戦争についても学べるので僕も行きたいと思っていたんですが、そこも予算的なところで難しかったです。

僕は旅行が好きなので入りました。「日本の城研究会」に所属して、日頃から旅行のような活動をしています。これまでに40県近くは行きました。

——なるほど、みなさんそれぞれですね。山下さんと中川さんはベトナム、大塚さんは九州北部をプレゼンしたそうですね。どのような理由でその場所をプレゼンしようと決めたのですか

初めに生徒の中でアンケートを行って、そこで出た案の中から予算的にOKな候補地を絞り出したんです。その候補の中で、ベトナムはプレゼンをやる人がいなかったということもあり、僕はベトナムチームに入りました。シンガポールや台湾など、毎回あるメジャーな候補地とは違ったところをやりたいという気持ちもありましたね。

モンゴルもパラオも日本から遠くて、日本らしくない、非日常を感じられる場所じゃないですか。候補地の中ではベトナムが一番日本と気候や文化が異なっているように感じられたので、ベトナムに決めました。

僕は海外というよりは国内派というのが理由の一つです。九州には修学旅行前には行ったことがなく、行ってみたい気持ちがあったので九州北部にしました。

学年全員の投票の結果、旅行先はベトナムと九州北部に

——プレゼン大会では国内と海外が合同で発表を行い、全体の順位がつきます。国内・海外それぞれの最上位の候補地が修学旅行先に決まるわけですが、結果はベトナムが1位で、九州北部が2位。プレゼン大会を振り返ってみていかがですか。

プレゼン資料を作るために初めてパワーポイントを使って資料を作りました。いま思えば雑な資料でしたが、どういう内容を入れるかをみんなで話し合いながら作業したのは楽しかったです。

せっかくプレゼンをするなら、やっぱり勝ちたいじゃないですか。いろいろな生徒がいる中で票を多く集めないといけないので、「どういうことを話したら受けがよいか」はよく考えました。バカまじめに話してもなかなか票数は集まらないので、動画や図などを使っていかに分かりやすくするかを話し合いました。

勝ちたいという気持ちがみんな強いんです。ただ一方で、「これほんとにベトナム行っちゃうのかな」という気持ちもありました。僕は最初からベトナムに行きたいと思っていたわけではなくて、ちょっと怖いなと感じていたところもあったので。そういうところも相まって、かなり複雑な心情ではありました。

——九州北部チームの大塚くんはいかがですか。

どうしても海外の方が人気じゃないですか。普段なかなか行けないし、「修学旅行だからこそ」と考える人も多い。そういう気持ちは僕も分かるので、海外というだけでアドバンテージがあるなと感じていました。だからこそ、「九州はご飯が美味しいよ」とたくさん書いてアピールするなど、対海外を意識してプレゼンをしました。せっかくやるなら一番になりたいという気持ちがありましたね。

——みなさん、「やるからには一番に」という気持ちで取り組んでいたのですね。プレゼン大会を通して成長したと感じられることはありますか。

みんなをまとめる立場になってみて、仕事を振るのは難しいなと感じました。先生からやってほしいと言われたことを僕経由で伝えていたんですけど、どうしても自分が全部に手を出してしまう形になってしまう。そうすると自分の仕事も追いつかないし、周りもやる気がなくなってしまうように感じました。振らなきゃいけないけど、説明するのも難しくて、もどかしかったです。プレゼン大会の後に部活で幹部をやるようになったときは、初めから「こういう仕事は振っていこう」という前提で考えられるようになったので、いい経験だったと思っています。

たくさんの委員がいるので反対意見も出るし、いろいろな人の意見を取り入れないといけない。旅行先がベトナムに決まった後に具体的なコース決めをしたのですが、遊園地のようなところで遊びたい人もいれば、勉強の方が大事じゃないかと言う人もいて。多くの意見がある中で、どう決めるか、どう意見を取り入れるかが難しかったです。

学年全員の前で話す機会はそれまであまりなかったのですが、プレゼン大会を通して人前で演説をするスキルが身についたと感じます。高2になると生徒会や文化祭の選挙で話す機会も増えるので、一足早く経験できたのはよかったです。

事前学習で調べた内容は雑誌にまとめ、いざ現地へ

——高1の時にプレゼン大会で旅行先を決めた後は各チームが準備を進め、実際に5日間の修学旅行へと旅立ったのは高2の9月でした。それぞれどのようなところを巡ったのですか。

ベトナムは基本的にはホーチミンの周辺を見てまわりました。最初に戦争の遺跡を見学し、その後は現地の農家さんや大学生との交流や、川のクルーズ、クチトンネルという防空壕などに行きました。最終日は自由研修の日で、班別に市内観光をしました。

クチトンネルはベトナムのホーチミン市クチ県を中心とした、全長200kmの地下トンネルネットワーク

ベトナムは中国に統治された時代やフランスの植民地時代、ベトナム戦争などを経験しながら変わってきた国です。歴史の移り変わりの中でベトナムにさまざまな国が関わってきたことを、自分たちの身体で感じることをテーマとしていました。戦争証跡博物館は館内にジョン・レノンの『イマジン』が流れる中、ベトナム人のガイドさんが「ベトナムは戦争で勝ったんだ」ということを話してくれました。クチトンネルにもどうやってアメリカ兵を倒したかの展示があり、ガイドさんが誇らしげに話していたのが印象に残っています。日本で歴史を勉強するのとは全く違う印象を受けました。

戦争証跡博物館。イマジンをバックに戦争兵器を見る

九州は弾丸ツアーのような日程で、1日目が博多、2日目が壱岐、3日目が有田や佐世保、4日目が長崎、5日目が熊本でした。移動が多くて少し無理やりな行程になってしまいましたが、行きたいところを詰め込ませてもらいました。班行動が多かったので、何個か候補を用意して、それを各班に選んでもらう形でした。長崎では原爆資料館に行きました。見ているのが苦しい写真もありましたが、体験できたのは良かったです。

——出発前に事前学習の形で、一人一人が現地の興味のあることについて勉強したそうですね。みなさんはどんなことについて調べたのか教えてください。

ベトナムの人の性格や身体的な特徴について調べました。ベトナムに行く上で、ベトナム人のことを知らないといけないなと思ったので。

僕はベトナムの建築物について。ベトナムは昔フランスの植民地だった影響でヨーロッパ系の建物がありますし、他に中国系の建物もあります。現地のサイゴン中央郵便局がフランス統治時代の建物で、それについて調べました。

僕はお城が好きなので、城について調べました。それぞれの人が調べた内容は、各自が記事を書いて、それを一つの雑誌としてまとめました。

——その雑誌づくりも生徒の有志が行ったということでしょうか。

はい、委員の中に雑誌班というのがあって、今日は参加できなかった飯塚くん(当日、体調不良で取材を欠席)が中心になって編集をしていました。いろいろな人に声をかけて原稿を集めてくれるなど、大変だっただろうけど飯塚編集長はすごく頑張ってくれました。表紙や題名は考えてくれる人を募集して、それも投票で決めました。

僕は書道研究会に入っていることもあって、表紙に雑誌名である『Among62』という文字を書きました(編集部注:「62」という数字は彼らが62期生であることに由来)。どのような字で書くかを何パターンも考えて悩んだ上、絵の人の案と合わせながら決めました。実際にできた雑誌が学年全員に行き渡っているのは嬉しいですね。

表紙も内容も凝っていて、隅々まで完成された雑誌になったと思います。

全員が記事を書くにあたっては、雑誌社で編集長をしているOBの方が学校に来て話をしてくれましたし、ベトナムについてはベトナムの言語を研究している先生が、九州北部については防災研究をしている先生が、それぞれお話をしてくれました。熊本地震の話もあり、それがきっかけで現地に行って断層の見学を行うことにもなりました。

——そういった計画も修学旅行の前に立てていたのですか。

そうですね。熊本空港の近くにある被害の大きかった益城町で見学プランがあることを先生から聞いて、行程に組み込んでもらいました。現地では被害にあって仮設住宅に入っていた方が、語り部としてお話をしてくれました。印象的だったのは、仮設住宅にいる時に「この生活で不便なところはありませんか」というアンケートが来て、そう問われて改めて考えてみる中で不便を感じるようになったというお話です。僕らも普段「この生活が便利だ」と思いながら生活しているわけではないので、そういうものなんだなと考えさせられました。

現地の雰囲気を実際に肌で感じて分かることがある

——実際に現地に行ってみて、事前に調べていたのと印象が変わったところはありましたか。

着陸前に飛行機から「ランドマーク81」という460メートル以上ある高層ビルが見えた時は異様な感じで、すごいインパクトでした。ベトナムは低い家ばかりなイメージを持っていたので、存在感ある高いビルが建っていることに驚きました。先ほどの話にあった中央郵便局も、周りの雰囲気や色は写真では分からなかったので、それらが実際に肌で感じられて楽しかったです。

ベトナムはすごい実力社会なんだなと感じました。自分たちでお土産屋を回っていると、お店の人はいかに利益を取るかをよく考えていて、喋りの技術もうまい。そういうのは日本に絶対ないなと。赤信号でも普通に道路を渡っていたり、歩道をバイクが走っていたりすることにも驚きました。

——ベトナムの人の雰囲気はどうでしたか。

何十人かで集合写真を撮っている時に、スマホを先生に渡して「生徒たちと撮って」といきなり入り込んできた現地のおじさんがいてびっくりしました。

ガイドさんもそうだし、優しいというか陽気な人が多いですね。日本よりフレンドリーな人が多くて、向こうから話しかけてもらうこともたくさんありました。

——九州北部では印象が変わったところはありましたか。

壱岐がすごく良かったです。行く前はただの田舎だと想像していたんですけど、自然がとてもきれいで感激しました。現地の漁師さんと釣りができましたし、サイクリングもしました。何より海がきれいで、9月後半なのに海に入っている人もいたくらいです。壱岐にはいい意味で期待を裏切られましたね。いろいろな場所に行きましたが、街の雰囲気や電車の案内板などに細かな違いがあって、そういうところも楽しかったです。

サイクリングの様子

——修学旅行を経験した今、どんな感想をお持ちですか。

今回はバスがメインのツアーで、ホーチミン市内のきれいなところを中心に見学しました。ベトナムの中でも想像しがたいような場所はまだ見ていないので、そういうところも見てみたいなと思いました。

ベトナムのハングリー精神というか、「いまの状況が一番いいわけじゃない。もっといい生活をしよう」という気持ちが伝わってきて、それが発展途上国の考え方なのかなと感じました。日本にいると、この環境に安心してしまうところがあるので、そういう精神は見習っていきたいと思います。

社会科の先生が新聞などの記事を校内に貼ってくれるのですが、そこにあった熊本地震で落ちた橋の記事を見た時に、とても身近なことのように感じました。実際に足を運ぶことでさまざまなことに興味を持てるようになるので、今後もいろんなところに行って知識を増やしていきたいです。

壱岐の方々に見送られながら島を出る

お互いに尊敬しあえる多方面のスペシャリストが揃うのが駒東の魅力

——将来の夢など、今後の進路についてはどのように考えていますか。

まだあまり明確にはなっていません。理系を選択するつもりですが、お医者さんとかはあまり興味がないので、理学などの方面に進むのかなと思っています。

日本というよりも、世界で働きたいと考えています。僕は文系なので法律や経済を学んで、世界で働くことができたら楽しいかなと思っています。

やりたいことはいろいろありますが、首里城の火事のこともあって、城が好きなので最近は災害関連やまちづくりの研究ができたらと考えています。前線で働くわけではなかったとしても、防災の分野で、陰から城を救えたらという思いがあります。

——みなさんはすでに駒場東邦で5年間を過ごしてきました。最後に、これまでを振り返りながら駒東がどんな学校かを教えていただけますか。

僕らは折り紙研究会と書道研究会、日本の城研究会にそれぞれ所属しているわけですが、駒東にはいろいろな方面のマニアというか「スペシャリスト」がいて、オタクであることがいい方向に受け取られる雰囲気があります。さまざまなことを極めていることを純粋にすごいと言ってくれる環境があるので、そういう面で誰にでも居場所があるような学校です。

よく進学校では特進クラスなどがありますが、うちにはそういうのはありません。修学旅行だけでなく文化祭や体育祭など、優秀な人も学校行事に熱心です。僕は文化祭を見学してみて、穏やかな人が多く雰囲気も良さそうだったので入ろうと決めたのですが、入学後もその印象は変わりません。勉強だけでなく、学校行事にも真剣な学校だなと感じます。

駒東は自主性を重んじている学校です。先生が「あれしろこれしろ」と言うことは少なくて、行事もすべて生徒主体で行われるなど、僕らがやりたいことを汲み取ってもらえます。知識のある人が多くて、自分では考えられないようなアイデアが次々と出てきます。みんなが持っている豊富なアイデアを生かすことで楽しい行事が作られていて、そういうところがいいなと思っています。

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