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横浜翠陵中学校・高等学校は、1986年に横浜国際女学院翠陵高等学校として開校し、2011年から共学化とともに現在の校名となり、新たなスタートを切りました。建学時から、「考えて行動できる人の育成」を掲げており、現在は“Think & Challenge!”をモットーに、自主性に富んだ、誠実で、実行力のある人間の育成を目指しています。
同校の卒業生の秋山和花さん(國學院大学経済学部4年生)に、ご自身の高校生活を振り返ってもらい、大学生活にどのようにつながったのかを話していただきました。
秋山さんには4年前の2020年、高校3年生の時にもインタビューにご協力いただきました。今回が2回目の登場です。
(前回記事)自然豊かな緑の丘の上でのびのびとした青春を(後編)―横浜翠陵中学・高等学校
高校とはまったく異なる環境の大学で、たくさんの挑戦をすることができた
-横浜翠陵を卒業後、どのような進路に進みましたか?
秋山:大学は一般選抜で受験しました。合格した中からレベルなどを考慮して一番よいと思ったため國學院大学に進みました。また、國學院大学は担任の先生の勧めで受験したので、その大学に合格できたのも「ご縁があったのかな」と感じました。
経済学部を選んだのは、高校生の時から世の中のお金やモノの回り方というものに興味を持っていて、大学できちんとしくみを学びたいと考えていたためです。ほかの大学も、商学や経済、経営といった学部を受験しました。
-経済学部の勉強をふくめて、大学生活はいかがでしたか?
秋山:経済学部での学びは期待通り、とてもおもしろかったです。経済学部は文系とはいえ数学の知識が必要です。経済学の授業には数学IIや数学Bで学ぶ内容が出てくるのですが、私は高校の時に数学Iと数学Aまでしかやっていなかったので、当初は大丈夫かなと心配でした。ただ、やってみると意外とできたのは嬉しかったですね。わからないことは周りの人が教えてくれましたし、友達と一緒に勉強することで、なんとか乗り越えることができました。
横浜翠陵は比較的少人数の学校なので、大学に入学後はまず人がいっぱいいることに大きな違いを感じました。いい友達がたくさんできたことで、勉強をはじめとする大学生活がとても楽しいものになったと思います。
-自分が成長できたと思えるのは、どんなことがありますか?
秋山:大学では学部の授業だけでなく、学ぶことがとてもたくさんあります。特に成長できたと思えるのが、サッカー部のマネージャーの経験です。高校生の時からサッカー観戦が好きだったことと、中学はソフトテニス部、高校ではダンス部でそれぞれプレイヤーとして活動してきたので、今度は応援する側に回ってみたいという気持ちから、大学ではマネージャーになりました。広報の仕事をメインにしていて、活動報告の記事を書いたり、写真を撮ったりするほか、外部との折衝などとてもやりがいがありました。サッカーは11人でやるスポーツですが、選手を応援し支えるマネージャーもふくめたチームでプレーをしている実感があります。
さらには、もっとサッカーに関わりたいという思いから、関連する仕事でのインターンシップを探しはじめたところ、運良くFC町田ゼルビアというプロサッカーチームの学生スタッフに採用され、大学2年生の夏から長期インターンをしています。学生スタッフもフロントスタッフとともに仕事をして、プロの現場を学ぶことができました。ここでも広報の仕事をしていて、一眼レフカメラの使い方を教えてもらって試合の撮影をしたり、WEBサイト用の記事を書いたりしています。やりたいと思ったことを任せてもらえるので、たくさんの挑戦をすることができました。学生スタッフは今年の12月までなので、最後まで全力でサポートを続けたいです。
-卒業後の進路はもう決まっていますか?
卒業後は、求人広告を扱う会社への就職が決まっています。就職活動を通して、「誰かの生活のいろどりとなるような仕事をしたい」という私の仕事に対するビジョンが見えました。私は今アルバイトがとても楽しく、アルバイトって「しんどい」というマイナスイメージを持たれることもある一方で、自分に合ういい仕事との出会いがあればとても楽しむこともできると知りました。ですから、人と仕事を結びつける求人広告であれば、そのビジョンを叶えることができると考えて就職を決めました。また、広告記事などを作成することが多いので、中高大で培ってきた文章力が活かせるのではないかと思っています。
横浜翠陵で培った、やりたいことを見つけて挑戦する力
-学部での勉強だけでなく、部活やアルバイト、インターンととても充実した大学生活を送っていらっしゃいますね。
秋山:大学でいろいろな挑戦ができたのも、横浜翠陵でやりたいことになんでも挑戦できる3年間を過ごしたおかげだと思っています。
私はもともと怖がりというかかなり内向的な性格でした。自分から積極的に新しいことに挑戦できるようになったのは、高校に入ってからなんです。横浜翠陵では、自分からやってみたいと思ったことはもちろん、周囲からの後押しを受けて、意図せずともいろんなことに挑戦する経験ができ、それが結果的に「なんでも挑戦してみよう」という精神を養ってくれたのだと思います。
-高校ではどんなことに挑戦されたのですか?
秋山:大きなものとしては、ダンス部での活動と生徒会での活動があります。私はもともとダンスをやりたいと思って、ダンス部のある学校を探して横浜翠陵に入りました。念願叶ってのダンス部では全力で活動に打ち込みました。生徒会は自分では入るつもりはなかったのですが、学級委員をやっていたことでクラスの推薦を受けて入ることになりました。先輩たちの熱量も受けて校則を変えるためのプロジェクトに携わり副会長も務めるなど、こちらもやりたいことに精一杯取り組みました。
-校則を変えるためのプロジェクトでは、どんなことをされたのですか?
秋山:私たちの頃は、靴下も通学カバンも学校指定のものに決まっていて、自由に選ぶことができませんでした。靴下は、女子は紺色のハイソックスできっちり上まで上げて着用しないといけないため夏は暑いし、破れやすいという問題もありました。通学カバンは、指定のスクールバッグだと重い荷物がある生徒は肩を痛めてしまうことがあり、許可を受けてリュックを使っていました。だったら、最初から指定をなくしてリュックがいい生徒はリュックが使えるようにしたいと考えました。
どちらも意見箱に生徒からの要望がたくさん入っていて長年の課題だったのですが、私たちの1つ上の代が「校則を変えよう」と動きはじめ、私たちの代で生徒指導の先生と話し合ったり業者からの見積もりを取ったりと具体的な活動を進め、下の代へと引き継ぎました。私たちの卒業後になりましたが校則も改定され、がんばった甲斐があったなと思いました。
印象的だったのは、生徒指導の先生からのお話で、女子校から共学化するにあたり風紀をしっかりと正すことと、生徒の服装に統一感を出そうという考えから、靴下などの細かい校則が決まったという経緯を知り、今まで単なる締め付けのように感じていた校則にも理由があると知りました。今まで想像したことがない視点で「なるほど」と思えましたね。先生からのお話は、中高の生徒会で共有し、役員会議でも話し合ったりして、みんなで校則を考えるきっかけになったと思います。
友達や先輩後輩、そして先生に恵まれた高校時代
-秋山さんは、高校3年生だった2020年にもインタビューのご協力いただきましたね。当時の記事を読み返してみていかがですか?
秋山:とても懐かしいです。正直、どんなことを話したかまでは覚えていなかったのですが、改めて読んでみると、今につながっているなと思えることがたくさんあります。
-たとえばどんなことでしょうか。
秋山:高校生の時はファッションに興味がありアパレルの仕事をしたいと話していましたが、その理由が「ブランドの魅力を世界に発信したい」というものでした。大学の部活やプロサッカーチームの学生スタッフとして広報の仕事に携わったことも、求人広告の会社への就職を決めたことも根っこの部分は同じだと思います。
-4年前には苦手な数学にがんばって取り組んだ話もされていましたね。その時の努力が経済学部での数学克服にもつながっているのかもしれませんね。
秋山:実は数学だけではなく、歴史も苦手でした。受験科目でもあったので、歴史用語や年代などを覚えるために、自分でオリジナルの暗記ノートをつくるなど努力して、世界史の成績は上がったのですが日本史は伸び悩んでいました。けれど、先生が熱心に指導をしてくれたので、最後まで諦めずに取り組むことができました。考えてみると、苦手な科目も「嫌い」にならなかったのは先生のおかげですね。自習室が職員室の前にあるので、どの教科でもわからないことがあるとすぐに先生に質問できましたし、先生も気さくに応じてくれました。
私のころは受験に英検が使えるようになったばかりでしたが、学校が早くから英検対策に取り組んでいてくれたことはありがたかったです。
-秋山さんは高校からの入学でしたが、友達がすぐにできたというお話もされていますね。
秋山:同じ中学校からの入学生がいなかったので不安でしたが、高校からの外部生の人数も多くいましたし、入学してすぐにフレッシュマンキャンプという1泊2日の新入生オリエンテーション合宿があり、たくさんの友達ができました。横浜翠陵の生徒は個性があり、お互いが自分にないものを認め合う空気があったため、仲のよい友達に限らずとてもよい人間関係が築けたと思います。大げさではなく、嫌いな人はいませんでした。
同級生だけでなく、生徒会で一緒に活動した中学の生徒たちも慕ってくれてとても嬉しかったです。部活での先輩後輩とも仲良く活動できました。ダンス部の引退公演では、私たちの代はコロナ禍のため通常よりも小さな内輪の公演となったのですが、後輩たちが全員のメッセージの寄せ書きをプレゼントしてくれた時には感動して泣いてしまいました。
ほかにも修学旅行や文化祭、体育祭と高校時代の楽しかった思い出は数えきれないほどあります。
-受験を考えている小学生や中学生のために、横浜翠陵の魅力を教えてください。
秋山:横浜翠陵は中学も高校ものびのびとした校風で、いろいろな個性を持った生徒が自分のやりたいことに打ち込みながら過ごすことができます。私自身もそうだったのですが、やや消極的な性格でも、たくさんの学校行事を通して自然と周囲の友達と仲良くなることができます。文化祭や体育祭など仲間と協力して何かを成し遂げる機会も多く、まさに青春!を体感できると思います。
横浜翠陵の一番の魅力は、生徒や先生といった「人」です。勉強も部活も行事もみんなで楽しみながらがんばれる環境があるので、3年間または6年間できっと大きく成長できるのではないでしょうか。
ほかにも自然環境が自慢です。学校全体に緑が多く、授業中も部活中も自然を感じることができます。校門から校舎までの道は桜並木なので、私は春の登下校の時間が大好きでした。校内には「SUIRYO」の文字の形の植栽があり、卒業前などみんな記念写真を撮っていました。説明会や学校見学に来ていただけると、施設のきれいさにも目を惹かれると思います。ぜひ一度、横浜翠陵に来て、たくさんある魅力を知ってもらえるとうれしいです。