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教養とは何かを考え、自らの視点を広げる。
「深く広く」をモットーに「教養ゼミ」を展開
今年、開校142年を迎えた駒澤大学は、仏教の教えと禅の精神を建学の理念に、7学部17学科を擁する総合大学として発展してきた。駒沢キャンパスにすべての学部の学生が集まる強みを生かして、今年度からリベラルアーツ・プログラム「駒澤教養パスポート」がいよいよスタートした。多角的な視点を備えた人材を目指し、「建学の理念科目」「複数言語教育、外国語教育」「数理教育、自然科学教育、情報教育」「多文化理解教育」「日本語リテラシー教育」「教養ゼミ」で構成されている。その中の「教養ゼミ」を担当している総合教育研究部の畠山寛教授(国際センター所長)と吉中俊貴教授にお話をうかがった。
取材・文 浜名 純
学生の声に応えた取り組み お互いの顔が分かるゼミ
畠山 寛教授(総合教育研究部 国際センター所長)
吉中俊貴教授(総合教育研究部 外国語第二部門)
―今年新たに始まった駒澤教養パスポートの概要、目標についてお聞かせください。
吉中 駒澤大学の卒業生に対するアンケートで、社会に出て専門以外の幅広い知識や一般教養の必要性を痛感したという声が多く寄せられました。駒澤教養パスポートは、そうした声に応えた取り組みだといえます。ただ、一般教養には「知」が体系化されていないというデメリットがあると思います。軸がないのですが、そこで、今回の教養パスポートでは、ゆるやかな軸を設定したのが特色です。換言すれば、一般教養の副専攻化です。具体的には、「建学の理念科目」「複数言語教育、外国語教育」「数理教育、自然科学教育、情報教育」「多文化理解教育」「日本語リテラシー教育」「教養ゼミ」から構成されています。
畠山 私から補足しますと、一般教養科目というと、かつては1、2年生がそれを受講して、その土台の上に専門科目があるという考え方だったと思います。そういった一般教養ではなく、副専攻化という話にあるように大学を円と考えた時、半分に専門科目があり、片方に教養科目があると考えていただければイメージしやすいと思います。スペインの哲学者のホセ・オルテガが、教養について論じています。その詳細は省きますが、教養は各時代における諸理念の生きた体系だと言っています。そういう意味を込めたものだと考えています。
―その駒澤教養パスポートの6つの科目の中で「教養ゼミ」についてご紹介ください。
吉中 教養ゼミは現在10講座が開設されており、総合教育研究部の教員が担当しています。定員は20名で、受講生の顔と名前が一致する環境を作っています。例えば、法学部のゼミなら法学部の学生だけが受講しますが、教養ゼミにはすべての学部から学生が集まってきます。他学部他学科の人と毎週同じ時間を過ごすことは、学生にとって新鮮だし、縦割りではなく、横の人間関係を作ることにもつながります。
畠山 学部によって独特のカラーがあって学生は学部のそういったカラーに染まっていくわけですが、いろいろな学部の学生が混ざると化学反応として非常におもしろいことが起こるのです。同じ駒澤大学の学生なのに、こんなに違っていたかと目が開かれるのですね。まさにダイバーシティを実践的に体験できるわけです。
学生自身が主体となってドイツへの理解を深める
―教養ゼミの具体的な事例としてお二人が担当されている授業についてご紹介ください。
吉中 私はドイツ文学を専門にしています。ところが駒澤にはドイツ文学科がありません。ドイツ文学科があったら、ゲーテのファウストを原文で一緒に読んでいく授業を行うこともできます。しかし、この教養ゼミではドイツ語を学んでいる学生だけが来ているのではありませんからそういった授業はできません。そこで、スピルバーグ監督の映画を題材にしました。敵役としてナチスドイツが出てくるのです。学生にとって関心のある映画を通してドイツにアプローチしていきます。
畠山 私もドイツ文学を専門としています。ゼミはドイツ語ができなくてもドイツには興味があるということが前提になっています。ゼミでは学生に全部発表してもらうことを基本に置き、最初はドイツのカードゲームをやって、まず皆がうち解け知り合える場を作ることから始めます。そして、ドイツ語圏への8日間の旅行を立案してもらいます。漫然とした計画ではなく一つのコンセプトを立てなさいとアドバイスします。例えば、学生が作ったのは森鷗外の足跡を辿るとか、鉄道や自動車の博物館を巡る、美術館を訪ねる等々です。具体的に航空便や鉄道の時刻も調べます。こうして自分が主体的に調べることで、ドイツへの興味・関心が深まります。それを端緒にドイツのニュースや本について探求するようになり、最後にそれを30分で発表するという形にしています。ゲーテを深く読むというのでもなく、学部の卒論とも違う形で、自分が主体的に興味あるものを追究していくわけです。
吉中 「ダークで絶望的なドイツ文学の世界」と題して、絶望をテーマにドイツ文学を学びます。「ドイツ文学を読みましょう」ではなく、ドイツ文学を絶望というテーマの下に見ていくとどうなるのかという切り口です。今、明るい希望とか未来というポジティブな言葉が躍っていますが、絶望という反対側から見てみたらどうだろうということでやっています。専門授業は狭く深く掘っていき、一般教養は広く浅く学ぶことだというイメージが根強く残っていますが、「深い穴を掘りたければまず広い穴を掘れ」という言葉を忘れずにゼミで実践したいですね。
学ぶことの意義を模索し思索の幅を広げる授業
―お二人とも「学生が選ぶベストティーチング賞」を受賞しました。どのような授業を心がけていますか。
畠山 私のベストティーチング賞はドイツ語の授業とドイツ文学の授業に対してです。今、世の中には○○教授法といったものが流行っていますが、私はそういうものは一切使いません。ドイツ語は第二外国語です。学生が自ら言語を選んだというのは、人生で初めてのことです。日本語は赤ちゃんの時から接している。英語は、早ければ小学生からやりなさいと言われて習います。だから人生で初めて言語を選んだわけで、それは新しい世界を自分で選んだということです。君たちはそういうことをやったんだ、ということを説き起こし、言語を学ぶということがどういうことかを伝えています。
吉中 小手先のテクニックやスキルではなくて、とにかく熱量をもって一生懸命やるしかないという姿勢です。母語としての日本語があり、誰もが「学ぶ」、あるいは「学ばされる」英語があります。日本語という点と英語という点を結ぶと線になります。ここに中国語やドイツ語などが3番目の点として加わると線が面になりますね。あなたたちが就職活動する時や人生を生きていく上で、求められる力は、線ではなくどれだけ面として見ることができるかということでドイツ語の学びを通して、その面を広げられる人になってほしい、と熱く語っています。
畠山 最後になりますが、さきほどドイツ語は自分を新しくする世界だと言いました。自分自身の考えを身に着ける。自分自身の生きた体系をつくる。それが、駒澤教養パスポートのひとつの理念ではないかと思います。