信頼される「地球市民」を育む 世界の多様性に応えるリベラルアーツと日英バイリンガリズムー国際基督教大学(ICU)

信頼される「地球市民」を育む 世界の多様性に応えるリベラルアーツと日英バイリンガリズムー国際基督教大学(ICU)

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ICUは現在信頼される地球市民を育むために多様化する国際社会に対応する取り組みを推進しており、「バイリンガル・リベラルアーツ教育」から「グローバル・リベラルアーツ教育」へと「2+1の言語教育」を推奨している。そこで今号ではICUの実態に迫るべく、推進役の一人である学務副学長のESKILDSEN Robert教授にお話を聞いた。

言葉の壁を越えることで意識の溝が埋まっていく

学務副学長
教養学部アーツ・サイエンス学科 教授
ESKILDSEN Robert
アメリカ・カリフォルニア大学バークレー校卒業後、国際基督教大学大学院にて修士課程修了(日本史)。アメリカ・スタンフォード大学にて博士課程を修了し、桜美林大学准教授を経て現職。

―まずは先生ご自身が学生時代に感じたICUの魅力からお聞かせください。

私は大学卒業までは母国のアメリカで過ごし、学部ではフランス文学を学びました。卒業後は、英語やフランス語とはまた異なる日本語や日本の歴史、文化を学びたい一心で来日し、修士課程をICUで過ごしました。当時感じたことは、ICUのバイリンガルな環境ゆえの勉強のしやすさです。日本の大学ですので日本語はもちろん、何か困ったことがあれば英語も使えます。教員も職員も英語が通じますので、海外出身の学生が学びやすい環境でした。

ただ、ある程度は日本語の読み書きができ、新聞記事なども理解できるレベルになっても、それだけでは“単に日本語を知っている人”に過ぎず、真のバイリンガルとはいえませんでした。専攻していた日本の近代史にしても、その本質まで日本語で深く考えられるレベルではなかったのです。そんなとき教員は、例えば「ナショナリズムとは何か」のように、言葉の概念や本質について、英語と日本語を織り交ぜながら丁寧に解説してくれました。そして、学生がじっくりと考える時間を与えてくれたことで、自分が置かれている現在の世の中についての理解や、専攻していた日本の近代史の理解が深まっていきました。

―先生が考える真のバイリンガルについて、その意義や醍醐味をお聞かせください。

一つのコミュニケーションツールとして外国語を学びたい学生は、勉強していけば一定の成果は得られます。ただし、真のバイリンガルとしてグローバル社会を生き抜くためには、語学力を高めることによって“意識を変えていけるようになること〟が重要です。“国際的である〟とは、語学力を生かして“外国人との交流を楽しむ〟といった意味合いだけではありませんし、学生が授業で外国籍教員から指導を受ける目的も、単に外国語で勉強をして知識を増やすだけではないはずです。大切なのは、自分とは異なる経験や知識、意識を持つ人と関わることで刺激を受け、外国語というレンズを通してこれまで見えていなかった新しい世界に触れることです。そこにバイリンガルの価値や醍醐味があるのです。

2+1の言語教育を軸に「グローバル・リベラルアーツ教育」を展望する

―2+1の言語教育を推進しているICUはこれまでの日英両語で学問的ディスカッションと研究ができることを目指す「日英バイリンガリズム」に加えて、もう一言語の習得を推奨しています。この第3言語の習得は、英語と日本語の情報に頼りがちな知識を是正し、バランスのとれた視野と思考を身につけることに繋がると思います。そもそも、ICUのバイリンガルでの授業は、具体的にどのように進められているのでしょうか。

日本語開講、英語開講の授業があり、学生はどちらの言語でも学ぶことが求められます。とはいえ、例えば私が英語で行う日本史の授業には、英語を母語とする学生もいれば、日本語を母語とする学生もいるため、双方の理解を深めるために、状況や授業で扱うテーマに応じて、結果的にバイリンガルで授業を進めるケースもあります。だからといって両方の言語で授業を行うこと自体に意義を見出しているわけではありません。私にとってバイリンガルでの授業は、それ自体が目的ではなく、あくまでも手段です。学生との対話では相手に応じて言語を選択し、ある学生が英語の方が理解しやすいと思えば英語で説明し、それが日本語の場合もあります。学生がどの部分で理解に苦しんでいるかを察知した上で、言語を使い分けているのです。

また、授業では日本語から英語に訳された資料を使うことが多いですが、それを日本語に戻して説明することもあります。英語を母語とする学生には、そもそもの日本語の意味やニュアンスを説明する必要があるからです。そうすると日本語を母語とする学生の理解も深まりますし、その逆のケースもあります。

留意すべきは、母語や国籍というよりも、経験や理解度です。日本語は話せるものの外国で教育を受けてきた学生は日本に関する知識が少ないですし、外国籍学生も日本に関する基礎知識は不足しています。一方で、外国籍学生や帰国子女の学生は、日本で生まれ育ち、日本語で物事を考えてきた学生とは、異なる視点を持っています。こうした学生たちに対話をさせると、それぞれの意識や視野の限界に直面するわけです。と同時に、限界の先に自分とは異なる意識やものの見方が存在することを知り、視野が広がっていくのです。

―学生自身がバイリンガル環境を有効活用していくことに意味があるのですね。

仮に、学生一人ひとりの違いに目を向けることなく教員が授業を行ってしまうと、画一的な教育になりかねません。そこで私が重視するのは、学生一人ひとりの違いを活用する学びです。例えば、学生がグループワークに臨む際には、日本人学生は英語力が壁になり、外国籍学生は日本語の資料の読解に苦労するケースがあります。こうした際に、学生たちがお互いの得意な言語で助け合い、補完し合っていけることが本学の特徴です。日本史の授業は語学の授業ではありませんが、日本語と英語を使うことで語学力の向上にも繋がりますし、それぞれの視点を通して対話を重ねることで理解も深まっていく好循環が生まれるのです。

複数言語主義(2+1の言語教育)で複眼的思考を育成する

私自身、かつてICUで学んでいた際には、それまで英語で理解していた内容を日本語で再解釈する作業を重ねました。そして、日本人学生との対話を通じて、英語圏で育った自分の価値観や意識を客観視できるようになり、新たな気づきも生まれました。人は言葉に束縛されて生きているといえますが、その束縛から自らを解放してくれるのがバイリンガル教育なのです。

なお、私は母語である英語のほか、外国語としてフランス語と日本語の他にもドイツ語やスペイン語、デンマーク語なども勉強してきました。すると、多言語を比較する視点が生まれ、スペイン語は発音が日本語に似ていることに気づいたことで話せるようになりました。複数の言語を学ぶことでさらに別の言語のスキルアップにつながり、学ぶモチベーションも高まるものです。ICUをめざす受験生には、バイリンガルを経て、ぜひトリリンガルをめざしてほしいと思います。

世界中さまざまな国や地域から集まる教員と学生が、少人数の授業で日々対話を重ねている。

国際的社会人を目指して複数言語で批判的思考や問題解決能力を学ぶ

―ICUではバイリンガル教育のほか、リベラルアーツ教育を重視されているかと思います。

リベラルアーツ教育は、直接的に就職に役立つスキルを獲得することよりも、多様な問題を解決に導くための“考え方”や“手順”が身につくことに価値があります。それゆえ私は「企業活動に資する存在」というニュアンスが強い「人財」という言葉は使いません。もちろん英語力を高めてバイリンガルをめざすなど、就職活動に役立つ力を身につけることにも価値はあり、これを否定したいわけではありません。しかし、大学での学びのゴールを就職とするだけでは受験対策としての英語学習と同じになってしまいます。

ICUでは一般教育科目のほか、メジャー制度のもとで文理問わず幅広い学問分野に触ることで、分野横断的な“考え方”や“手順”が身についていきます。こうした思考のツールが連鎖しながら積み重ねられていくことで、社会において問題を発見し、解決策を探っていくための引き出しが増えていくのです。英語力にしても、英語を使ってどのような問題をどのように解決するかが肝心。語学力にかかわらず、どのようなアクションを起こせばどういった結果がもたらされるかを学生時代に経験しておくことが重要なのであり、社会に出ても生きる経験になるのです。

バイリンガル教育やリベラルアーツ教育を就職に役立つものとして捉える向きもありますが、就職はあくまでも大学卒業後の選択肢の一つでしかなく、長い人生を考えれば通過点です。そもそも学びは大学で終わるわけではなく、卒業の日こそが、実社会で学び行動を起こしていくスタート地点になります。ICUでのリベラルアーツ教育は、生涯学び続けていくための第一歩。社会に出て新しいことを学び、さまざまな力を身につけていく下地作りとして重要なのです。

楽しみながら生きた英語に触れてほしい

―日本の英語教育についてもお考えをお聞かせください。

日本の中学生や高校生の多くは、進学のために英語を勉強していると思いますが、入試制度が従来どおりであれば、そうせざるをえないでしょう。しかし、常に受験のための勉強ばかりでは、英語を学ぶ楽しさは感じにくいかもしれません。そこで、英語を受験に必要な科目として捉えるだけでなく、生徒が遊び心を持って楽しめる純粋なコミュニケーションのための道具として触れさせてほしいのです。英語を教科書や問題集に書かれた活字ではなく、“人の心の中にある生きたコミュニケーションツール”として捉えることができれば、親しみやすく覚えやすくなると思うのです。外国語の知識が増えるおもしろさを体感し、学ぶ楽しさに気づくきっかけがあれば、いきいきと学ぼうとする意欲を喚起できると思います。

―楽しみながらであれば能動的に取り組めそうですね。

英語に限った話ではありませんが、生徒が何かを発言したいと感じたときに、きちんと発言させられる環境づくりが大切だと思います。与えられた課題だけをこなすだけでなく、疑問に感じたことを発言する経験をすることで、授業以外でも積極的にコミュニケーションを取ろうという意欲が芽生えるはずです。そうやってコミュニケーションが活発になることで、物事の深い理解にもつながります。既にアクティブラーニングといわれるようなインタラクティブな教育は日本で広がりつつありますし、今後さらに浸透していけば、日本における外国語教育も大きく変わっていくと思います。

私は日本で生まれ育った子どもたちが外国語の習得が苦手だとは決して考えていません。基本的な能力は高く、文法にも強いため、私の授業でも文法的な説明をすると学生はしっかりと理解してくれます。高校までの英語学習は確実に大学での学びに役立っています。

ただし、多くの日本人が実用的な英語力を高めるきっかけになっているのは、社会人となって実務面で必要性に迫られる経験のように思います。そんな経験を教育現場で得られれば、もっと早い段階で上達していけるはずです。そのためにも、受験勉強のためだけではなく、生きた英語に触れて世界が広がるおもしろさ、学ぶ楽しさを感じさせる工夫に期待したいですね。

―最後に読者へのメッセージをお願いします。

ICUのバイリンガル教育やリベラルアーツ教育は、学生一人ひとりの人間的な成長に寄与し、人生を豊かにすることに意義があります。その過程では、仕事に直接的に役立つ専門知識やスキルが身につき、結果的に就職活動に役立つこともあれば、社会に与える好影響もあるでしょう。バイリンガルとして世界をより深く理解できる人材が増えれば、日本はもっと骨太な国になるはずです。ですから、中学や高校での英語教育は決して受験のためだけではなく、社会にとって価値ある教育であるということは、中高の先生方にも中高生のみなさんにも認識していただきたいです。

もう一つのメッセージは、大学を卒業したからといって学びが終わるわけではないということ。ICUが大切にしているのは、長い人生において学び続けていくための下地を作り、人間として成長してもらうことです。その手段となるバイリンガル教育やリベラルアーツ教育の本質を多くの方に知って欲しいと思います。

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