国際基督教大学(ICU)が実践するリベラルアーツ教育の本質に迫る

国際基督教大学(ICU)が実践するリベラルアーツ教育の本質に迫る

社会の制約に縛られない自由な発想で世界に奉仕する人材を育成

教養学部アーツ・サイエンス学科 教授
西村幹子(Mikiko Nishimura)
サセックス大学修士課程、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ博士課程修了。国際協力事業団ジュニア専門員や神戸大学大学院国際協力研究科准教授などを経て現職。専門は教育社会学、比較教育学、国際教育開発論、アフリカ地域の教育研究。サービス・ラーニング・センター長も兼務。

ヨーロッパで誕生したリベラルアーツ教育は近年、日本国内でも大きな盛り上がりを見せている。ただし、学び方そのものを重視する本来の主旨とは異なり、就職を意識したスキルアップにフォーカスしがちだと危惧するのが、国際基督教大学の西村幹子教授。リベラルアーツ教育に関する誤解や、リベラルアーツを実践する上で大切なことなどについて伺った。

学問のあり方を問い「世界への奉仕」をめざす

―西村先生が考える大学教育の課題からお聞かせください。

現在の学問は、専門分化と各分野での高度化が急速に進む中、高度化そのものが目的化している側面があると感じています。人間性が介在しない科学として独り歩きし、知見や技術をどう社会に還元するのかといったビジョンを描くことが放棄されているケースすら見受けられます。学問や科学は、社会をより良くするために存在する一方で、核兵器の開発をはじめとして、これまでに一部の目的が非人間化されてきました。この反省を踏まえ、「学問のあり方」や「何のために学ぶのか」を問い直すべき段階にあるのです。

その点、リベラルアーツ教育の発展を支えた理念は「世界への奉仕」。その先にある「平和の実現」に向け、どう自分が思考し、誰と協力してどのような行動を起こすべきなのかという発想がベースにあります。高収入を得られる職業に就くため、自分さえよければ良いというものではありません。よりよい社会のために自分がどう貢献できるかという道徳性や市民性を持った人材育成にこそ学問の意義があり、リベラルアーツ教育の意義があるのです。この視点が抜けてしまうと、大学教育は就職のための通過点となり、消費して終わりの対象になりかねません。

―では、大学教育の中身はどうあるべきでしょうか?

21世紀に入り、世界における複雑化した諸問題を解決するためには、ひとつの学問分野における限定的な見地からだけでは対応し切れないといわれています。こうして日本の大学では学際性が重んじられていますが、ときにリベラルアーツは個々の専門分野を見つけるための手段として捉えられ、多種多様な学問分野の科目が展開されることが重視されがちです。もちろん、学際的な学びをとおして多角的な視点を身につけることは大切ですが、それはあくまでも既存の垣根を取り払い、新たな知や価値を生み出すための手段のひとつ。リベラルアーツ教育で大切なことは、決して広く浅く、ときにやみくもに“何でもありのつまみ食い〟のように多彩なコンテンツを用意することではありません。コンテンツはシンプルで構わず、なぜそれが問題なのか、自分はどのようなスタンスで考え、解決にはいかなる視点が必要なのかと思考を展開させていく考え方や学び方を学ぶことがリベラルアーツ教育の本質なのです。

―リベラルアーツ教育に対する誤解は根深いように思います。

広く浅い学びでは手に職がつかないと問題視することもリベラルアーツ教育に対する誤解の産物ですし、リベラルアーツ教育こそが未来志向であり、職業選択に有効だとする解釈にも飛躍があります。本学にしても、労働市場で高く評価される英語力が自然と身につき、国際人になれる大学なのだという面ばかりが注目されがちです。もちろん英語力の向上や、手に職をつけることも尊重すべき学生の声ではありますが、希望する職業に就くために有用か否かで大学教育やリベラルアーツ教育の価値を判断することは望ましくないように思います。

また、多元的な社会において、人の能力を学力という一元的な価値で評価すること自体にも無理があります。学歴偏重主義や業績主義のもと、高い学歴や社会的地位、高収入をすべて自分の努力の成果と考える高慢な態度が蔓延していますが、そこに至るまでには社会の恩恵を受けている部分もあるはずです。環境保全から平和維持、貧困や不平等、差別のない社会の実現にしても、大切なのは利己主義的な態度を改めることです。

これは、リベラルアーツ教育がめざす「世界への奉仕」や「平和の実現」にも不可欠な姿勢です。そのためには、大学も変わる必要があります。まずは、社会と“持ちつ持たれつ”の関係であることを前提に、他者との対話によって自分を理解すること。その上で、身につけた知識や技術を他者や社会に還元し、「世界への奉仕」を進めていく姿勢を日々の学びの中で育んでいく必要があると考えています。

当事者の視点に立つことで初めてわかることがある

―学生はどのような着眼点や意識を持つべきでしょうか?

職業や社会的地位などの「立場」に固執することなく、休日には地域活動に汗を流すなど、自分は社会に対して何ができるのかを考え、「立場」を超えた自分の「立ち位置」を見つけてほしいと思います。学生であっても「まだ学生だから」「専門家ではないから」と立場に縛られることなく、実体験をベースにして意見を積極的に発信してほしいのです。文献や論文に引っ張られる必要もありません。自分に自信を持って、学びに当事者性を見出すことが肝心です。当事者性は、自分の経験からは何を発信でき、何ができるのかという自問自答を繰り返し、自らの考え方を自覚することから認識されていくもの。実体験と切り離して知識を蓄えるだけの学びから脱却することが、大きな一歩になります。

とはいえ、周囲に自分をさらけ出す自信を持てず、不安を感じる学生は少なくありません。だからこそ本学では、少人数での対話重視の教育スタイルのもと、学生が安心して発言できる環境づくりを大切にしています。授業では全員に発言のチャンスを与え、学生同士で話し合いをする時間も豊富に設けています。

―授業などでの具体的なエピソードはありますか? 

社会貢献活動を通じた学修プログラムである「サービス・ラーニングプログラム」は、社会的な課題に自分がどう関わるのか、当事者としての実体験をベースに実践的に解決策を模索する全学共通科目です。過去には、学生が地方で過疎化や人口減少、移住政策について調査し、アイデアを出していく活動がありました。このとき、学生が現地住民から言われたのは、「まずはコミュニティの一員となり、地域のありのままの姿を知ってほしい」ということでした。つまり、大切なのは自分事として捉えること。教科書などから得た知識を駆使し、実感のない憶測を根拠にして過疎地域で「課題解決してあげよう」という意識ではありません。当事者の目線になるからこそ、自分の中のバイアスや“驕り”に気づき、それらを取り払うことで多角的かつ柔軟な思考ができるようになるのです。こうして、現地住民との対話を通じて自分自身の立ち位置を見つけていった学生は、都心に戻った後も、事あるごとに自分の立ち位置で今できることは何かを能動的に考えられるようになっていきました。

批判的思考を自分に向けてみることが大切

―あらためて大学教育の意義についてお聞かせください。

大学はコンテンツを吸収して正解を知る場所ではなく、対話を通して問いを探す場所だと考えています。教員は正解を聞かれたら「あなたはどう思いますか」と聞き返すことで、学生が自分の考えや認識を整理して、考えを深めていく。それが本学の学びのスタイルです。例えば私の授業では、日本にとって当たり前のように存在する学校教育について、必要か不要かというディベートを行います。学生たちは本音を切り離した上で、実体験に基づいて必要か否かそれぞれのロジックを組み立て、意見を戦わせますが、学生が何を考え、何を発言するかわかりませんので、教員自身もリベラルである必要があり、腕の見せ所です。従来の学説や自分の主張に固執し過ぎず、学生の多様な声に耳を傾ける必要があります。それができないと自由で発展的な対話は成り立たないからです。

また、物事を考える上で大切なのは、何が正しく何が間違いであるかといった尺度ではなく、批判的思考を身につけることです。「批判的」と聞くと「相手を攻撃的に責める」「反体制的に社会に物申す」といったニュアンスで受け取られがちですが、批判的思考の本質は「当たり前を問う」こと。自分のあり方や、自分の認識の仕方を見つめ直すことでもあります。批判的思考は、既存の社会体制や常識とされている社会規範を問い直し、制約から解き放たれた自由な発想で社会に貢献することをめざすリベラルアーツには欠かせません。

コミュニティ・サービス・ラーニング・プログラム(国内のNPOや自治体等の公的機関、福祉施設等でサービス活動を行うプログラム)での活動の様子

―グローバルコミュニケーションにも有効ですね。

アメリカの作文指導(エッセイライティング)では、ある物事に対して自分がどういうスタンスを取るかを表明した上で、その根拠を提示していく展開が重視されます。ここには因果関係に基づく論理性を重んじる社会的な背景が色濃く反映されています。そうした背景を知っていれば、対話の際に相手のロジックを理解しやすいですし、意図も見えてくるというもの。一方で、行間を読ませるような日本人特有のコミュニケーションも認識されていれば、外国人にとっては日本を理解する際にも役立つでしょう。自分にとっての当たり前を押し付けず、相手の社会的・文化的背景を理解していれば衝突は回避できますので、それこそが国際人に必要な素養のひとつだと思います。

ただし、日本は同質性が強いといわれてきた反動のせいか、多様性の尊重ばかりが重視されがちですが、国際社会では多様であることは大前提。日本ではその意識が抜け落ち、「多様である」「多様なのだから仕方がない」で議論が終わってしまうことがあります。学生にはそこから一歩前に進み、多様性の中で自分の立ち位置を見出してほしいと思います。

―留学先や国内で意識しておくべきポイントはありますか?

そもそも同質的だと思い込んでいる日本国内であっても一人ひとりは多様であって、それは多様性に目を向けていないだけかもしれません。国籍や人種、宗教、言語、セクシャリティなど、社会的な集団としてカテゴライズしやすい多様性の物差しもありますが、それだけでは判断できない多様性を認識し、受け入れる必要があります。外国人留学生の比率を高め、多様な学生を確保しようと苦心する大学もありますが、そもそも学生は個性豊かで多様な存在。留学生か否かなど、容易に判別できる多様性を追求すること自体、学生を色眼鏡で見ていることと同然かもしれません。

また、学生の就職先にしても、単に女性を積極的に採用したところで、そもそも男女の待遇の格差を是正し、多様性を認めようとしない企業だとしたら、男女協働の環境は持続可能性が低くならざるを得ません。しかも、そうした企業文化や既存の制度に対してリベラルに発言をする人材は、日本社会では出る杭だと見なされがちです。そんな逆境に打ち勝つためにも、現状に問いを立て、当事者の視点を持って改善策を発信し続けていくことが必要になるのです。

「わからない」を楽しみ学びを深めていってほしい

―最後に高校教員や受験生へのメッセージをお願いします。

高校でも大学でも、カリキュラムとして用意されたコンテンツをこなすことだけに執着したり、知識を詰め込んで“わかったつもり”になることは、避けるべきだと思います。大学生でも高校生でも「知れば知るほど、わからないことが出てくる」と認識することが大切です。意識してほしいのは、ひとつの答えを見つけようとするのではなく、何がわからないのかという問いを立て続けていくこと。探究型の学習にしても、正解に至るプロセスを学ぶというよりも、どのような問いに行き着くのかを探っていくことも意味のあることだと思います。「これがわかりました」ときれいに終わらせるのではなく、「これがわからないと気づきました」というゴールでもいいと思うのです。

だからこそ本学では、問いを立て続け、能動的に学び続けていく生涯学習者“Lifelong Learner”としての資質を身につけてほしいと考えています。わからないことを自覚できている状態は、知的好奇心を持ってわかるようになるための出発点。リベラルに自分を見つめ直し、社会を見つめ直しながら、そして、知らないことを楽しみながら学びを深めていってほしいと考えています。

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