【国際基督教大学に聞く!】そもそも「リベラルアーツ」とは何なのか

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森島泰則(もりしまやすのり) アドミッションズ・センター長/在米日経企業研究員、スタンフォード大学客員研究員を経て、2003年 ICUに着任。2010 年から2年間、アカデミックプランニング・ センター長。2015年より現職。

多くの大学で導入が進み「リベラルアーツ」の注目度が増しているが、実際にどのような学びなのか問われると、明確に答えられる人は少ないのではないか。リベラルアーツに対する誤解も多く、代表的なのは“深い専門性が身につかないのでは” というもの。そこで、日本初のリベラルアーツ・カレッジとして教育・研究を実践してきた国際基督教大学(ICU)のアドミッションズ・センター長、森島泰則教授に、歴史を紐解きながら、現在そして将来の日本にとって不可欠なリベラルアーツについてお話をうかがった。   

文責 井沢 秀(大学通信)


― あらゆる学問の源流といえる学びの手法である、リベラルアーツの歴史について教えてください。

リベラルアーツの原点は、古代ギリシア時代の自由市民の知識や技能の修得。これがローマ時代に引き継がれ古典的なリベラルアーツが生まれたのが5世紀頃です。文法学、修辞学、論理学の言語系3科と算術、幾何、天文学、音楽の数学系4科からなる、自由7科で構成されていました。中世になると、貴族など裕福な階級の素養という位置づけになり、その後大学ができると、自由7科は当時の専門科目である、法学と神学、医学といった科目のベースとなりました。近代以降は、農学や工学など、職業に合わせた専門教育に入る前の準備教育という位置づ けになりました。

リベラルアーツが時代とともに変化していく中で、その手法の大きな流れの一つに古典志向があります。まだ大学が存在し ない中世に、貴族が所有する館に先生と生徒が集まり、そこで生活をしながら過去の書物を通して古典を学んでいたのです。それがカレッジと呼ばれるようになります。オックスフォード大やケンブリッジ大はこの流れを継承しています。もう一つは、近代に誕生した、もっと学術的にさまざまな事象を探求する探求志向です。こうしたリベラルアーツが、大学教育の準備段階としての広い分野の知識を学ぶ教養となり、現代に至ります。

― 日本のリベラルアーツはアメリカ型だといわれます。

ヨーロッパのように長い歴史がないアメリカでは、リベラル アーツのような基礎的な学びを支える教育システムがありませ んでした。イギリスなどヨーロ ッパでは、リベラルアーツを中 等教育で行い、大学での専門教育につなげています。一方、アメリカでは中等教育までが多彩なので、大学において専門化する前の基礎教育をしっかりやる 必要があったのです。アメリカの高等教育のシステムでは大学院で専門教育を行うので、幅広い分野の知識をベースとした思考力やコミュニケーション能力、人格教育などのリベラルアーツ教育を行う大学(カレッジ)が 成立したのです。

ハーバード大は専門教育も行う大規模大学ですが、リベラルアーツの大学でもあります。大学院レベルの学問や技術のレベルが発達して、専門化、細分化しているので、本当に専門分野を学ぼうとすると、とてもせまい領域になります。そうした人材だけで今の社会は成立し ないので、広い分野のバランスがとれた知識をもった人材をリベラルアーツで養成する必要があると思います。

知識を統合して 世界のありようを理解する

― なぜ今、リベラルアーツが必要とされているのでしょうか。

リベラルアーツは、これまでの人間の営みの中で得られた知識を包括的に学ぶことにより、知識を統合する教育手法です。 知識を統合するのは、世界のありようの理解や、自分の身の回りあるいはもっと大きな自然の中で起きているさまざまな問題に対するアプローチの仕方や解 決法を見つけるために、バランスがとれた学びが必要だからです。

技術大国、技術立国といわれ た日本の影が薄くなっているの は、イノベーションを起こす力が弱くなっているからといえるでしょう。新しいものを創造するためにも、知識をもとにした創造力や思考力、問題解決力が不可欠でしょう。 さらに、リベラルアーツの教育手法は、人間が平和に生きていくために必要なコミュニケーション能力の獲得にも有効です。 例えば、ビジネスの世界で自分だけが利益をあげるのではなく、いわゆる〝ウィンウィン〞の関係になるための交渉力もコミュニケーション能力の一つです。

―東大は2年の教養教育を経て専門教育に移行します。かつては多くの大学で2年の教養課程を経て専門に入っていきました。そうした中、リベラルアーツで教養教育を4年間行うのはなぜですか。

日本の高等教育は、大学院での専門教育まで見据えて、学部の4年間で一般教養プラスある 程度の専門を学ぶアメリカのようなシステムになっていません。4年間で教養と専門を学ぶことになりますが、学問は細分化し進化しているので、低学年時から専門の授業を行わざるを得ません(そもそも2年間の教養教 育で十分なのかという議論もあります)。しかし、バランスの取れた知識を身につけて、思考力やコミュニケーション能力を鍛錬していくには、2年間でも十分といえないと思います。

ICUではメジャー(専修分野)制度をとっています。他大学に比べると、メジャーの履修単位数は多くありませんが、専門分野と関連分野との結びつきを考えながら専門分野を探求する学びを進めています。例えば、一見無関係のような学問分野も、学んでいると何処かでつながりが見えてきます。そうした知的で柔軟性のある思考力をじっくり鍛錬するための4年間と考えるべきだと思います。

多様な学習空間を用意して学びをサポート

― 知的で柔軟性のある思考力を鍛錬するために、どのような環境を用意していますか。

リベラルアーツを実践するには、物理的な環境がとても重要です。リベラルアーツの学びは、教室での授業だけではありません。図書館で文献を調べたり一人で学ぶこともそのひとつです。 また、ICUはグループワークが多く、授業外で学生が集って話し合うことも多くあるので、 図書館のグループワークスペースや学食などに集まって勉強しています。広いキャンパスの中央にある芝生広場で勉強をするグループも少なくありません。 こうした環境は、リベラルアー ツを展開していく上で大変重要な要素だと思います。

― 双方向の授業を行うには、教員の資質も重要ですね。

いわゆるゼミのように教員を中心にして、学生たちがお互いに研究し刺激し合いながら探求する、アクティブラーニングに よる学びが重要性を増しています。アクティブラーニングを実践するためには、旧態然とした、 一方的な講義だけをしているわけにはいきません。思考力やコミュニケーション力は、ひたすらノートをとるだけでは養えないのです。今は学生たちが授業の中でディスカッションやグループワークをして発表する形の授業を展開することが求められ、それができる教員をFD(ファカルティ・ディベロップメント) などを実施して養成することが大事です。

― グループワークを中心に据えるには、少人数教育もポイントになるのではないでしょうか。

大人数のクラスでも、問いを出して隣同士や前後で話し合う授業を行えますが、直接話を聞ける学生は数人しかいません。 人数が少ない授業なら当然そういうチャンスは増えます。誰もが自主的に発表したいわけではありませんが、発言に消極的な学生でもある程度は訓練が必要です。少人数なら双方向の授業やグループワークがやりやすいのです。他大学ではこうした教育をゼミで行っていますが、ICUはゼミをカリキュラム化していません。もともと少人数の授業を行っているので、他大学のゼミにあたる授業に類するものは、普段の授業で行うことができますし、卒論の指導の中でも可能です。グループワークが必要な課題を出して、学期の後半で学生のプレゼンテーションを行うなど、少人数制による教育はリベラルアーツにとって重要な要素なのです。

リベラルアーツは深い専門性を獲得できる。

― リベラルアーツに対して、誤解や理解不足を感じることがあります。

リベラルアーツを標榜していても、学問分野がとても限定されていたり、プロフェッショナルトレーニングを行っているカリキュラムを見かけます。リベラルアーツは、人文科学、社会科学、自然科学を網羅する、バランスのとれた学びの体系です。

そういう知識の広がりをベースにして、知的訓練をするものですが、実際に中身を見ると、社会科学系に偏っている大学もいくつかあります。リベラルアーツは、いろいろな捉え方があり、学問分野の広がりがない社会科学系であっても、その中で思考力を育てているからリベラルアーツだといってしまえば、それが通ってしまう側面もあります。しかし、そういう教育をリベラルアーツといっていいのか疑問ですね。

― 深い専門性が身につかないという見方もあるようです。

リベラルアーツは、専門教育を行う学部に比べて、広く浅くで、中途半端というイメージがあり、専門性が低いと思ってい る人もいます。確かにカリキュラムの単位数だけを見ればそう見えるかもしれません。ICUの場合は、136の卒業単位の中で、人文科学系、社会科学系、自然科学系のバランスをとった上でメジャーを履修するシステムです。このシステムだと、専門性が低いかというとそうではありません。専門に関連する分野を学びながら、専門の学びを深めているので、学び方では全く劣っていません。それどころか、関連分野を学ぶことで、より専門性が練られていくのです。

ICUは、大学院の進学率が高く、卒業生全体の約20%、つまり、5人に1人が進学します。自然科学系は80%くらいに上ります。つまり、大学院に進むレベルの充分な知識や資質が養われているということです。海外の大学院に進む学生も多くいます。リベラルアーツでの専門の学びを、広くて浅いとネガティブに捉えるのは誤解です。本質である「学び」としては深いのです。

リベラルアーツの本質は人をつくること

― リベラルアーツで養成される人材として真っ先に浮かぶのがグローバル人材です。

グローバルに活躍している卒業生は、異口同音にICUでの学びが糧になっていると言うように、リベラルアーツがグローバルに活躍する人材を養成する有効な手段であることは間違いありません。ただ、ICUの卒業生にグローバルに活躍している人材が多いのは一つの結果だと思っています。ICUが最も大切にしていることは、ここで学ぶことによって、一人ひとりの学生がいかに充実した人生を送れるかということです。グローバルに活躍する学生もいれば、ローカルな環境でがんばる学生もいます。目立つような活躍や成果を出さなくても幸せな人生を歩いている人もたくさんいます。そういう人にとっても充実した人生を送る糧を、リベラルアーツを通して養うことはとても大事なことだと思います。

リベラルアーツは人をつくるための教育手法です。高度な知識を活用したプロフェッショナルになるだけではなく、前述のように古典を学ぶことを通して自分を見つめ、人間とは何かという本質的な問いかけをして自分なりの理解を深めることで、最終的に人とは何か、この世界は何なのかという本質を理解しようとする。そうした姿勢があればこそ、さまざまな局面で最良の判断ができるようになり、その集大成として、それぞれの道で活躍して成功できるのだと思います。

高度経済成長期は、欧米を手本にして追いつけ追い越せで一生懸命やっていれば、明日は今日よりも良い日になるという時代でしたが、今はそうではありません。産業界もかつては、次に何を作ればいいのかある程度見えていましたが、あらゆるものが満たされた今は、イノベーションを創出する必要性に迫られています。そういう時代では、リベラルアーツを通して身についた判断力や創造力が、これまで以上に求められているのです。

― 人をつくるというのは、経済だけではなく日本全体として求められていることだと思います。

国の政治や地方自治などを良くするために何をすべきなのか、考え議論することが必要ですが、そうした訓練をした人がとても少ないと感じます。福沢諭吉の『学問のすゝめ』を貫く考えは、 近代国家を作るには、一部の官僚や政治的主導者だけが知識をもって考えればいいのではなく、 圧倒的多数の国民が一緒に考えないと近代国家にはなれないというものです。彼のイメージには、当時のフランスやイギリス、アメリカなどの民主国家があり、 国を作っていくためには、人々が物を考える力、判断する力、意思決定する力をもたなければならないと考えていました。今の日本を見ると、まだまだそうなっていない現状があります。だからこそ、本質的な「学び」を踏まえたリベラルアーツによる人材養成が求められていると感じています。